先週の当教会の第一礼拝では、「ありのままソング」というのを歌い、踊りました。礼拝のZoomは録画されていませんが、踊り方は でご覧いただけます。
幼児から熟年と見られる人まで前に出て踊って下さり、多くの礼拝参加者もその場で踊ってくださいました。それを見て、僕はとっても嬉しくなり、「なんてすばらしい教会なんだろう」と思えました。
最近、能神経外科医の東島威史氏による「不夜脳」という本が売れています。
その核心は、脳の疲れを休ませるには、睡眠よりも刺激が役に立つということです。それは脳の疲れは、脳の偏った使い方から生まれるもので、大切なのはバランスだということです。
興味深いのは、複数の言語を使う人は、脳の機能の切り替わりによって、バランスを回復しやすいという結果も見られるようです。
僕は昔から、悩みを抱えすぎて眠れなくなるということが起こりました。その度に、眠れなくなる自分をかえって卑下してしまうという悪循環に陥りました。
しかし、スポーツクラブに通い、音楽に合わせて踊ることを週に二度程度行うようになってから、その問題が劇的に改善されました。
以下のように記されています
一時間のダンスを週に2~3回やると、12週ほどで……脳由来神経栄養因子が増加し、認知機能が改善してくる……ひとりやらずに集団でやった方が効果が高い
昨晩、久しぶりのプログラムに参加したら、インストラクターが「今は、レディーガガが来日しているから、彼女の曲をいくつか入れる」と言って、リードしてくれました。何かとっても踊りやすいリズムだと思いました。
しかし、家に帰って彼女の曲の歌詞を調べると、残念な気持ちになりました。伝統的な価値観を壊すような歌詞が多すぎるからです。
できたら、教会で、福音に沿った形のダンスができればよいですね。昨年末に当教会で開かれたワーシップフラの発表会は本当に感動的でした。それは祈りの表現だと紹介されていました。
ダビデに倣って、主への賛美としての踊りを、教会で広げられたらと思います。
今日は詩篇109篇の紹介です。この詩は「敵をのろう」内容のように見えて、キリストの福音に反するように見えますが、恨みや怒りで眠れなくなるようなときに私たちの発想を変えてくれる詩篇です。ダンスの効果と似ています。
詩篇109篇「敵ののろいと神の祝福」
これは94篇と並んで、悪人への報復を祈る詩篇の代表です。ただ、それは自分の敵を愛することと矛盾はしません。
たとえば、ダビデはサウル王の手から必死に逃げる中で、二度もサウルを殺す機会が訪れましたが、家来を制止して、「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか……主 (ヤハウェ) は生きておられる。主 (ヤハウェ) は必ず彼を打たれる」と断言しました (Ⅰサムエル26:9、10)。
つまり、ダビデがサウルを助けたのは、神のさばきに任せたという意味とも解釈できるのです。
この祈りは、「神よ……沈黙しないでください」から始まります。
黙示録6章10節では、殉教の死を遂げた者たちが神に向かって、「いつまでさばきを行なわず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか」と祈っています。この世界の不条理を見ながら、神の公平なさばきを願うのは、当然のことかもしれません。
ダビデの敵たちは、根拠のない悪い噂を広め、人々がそろって彼を非難し、攻撃をしかけるように仕向けました (2、3節)。彼にとって何よりも辛かったのは、「私の愛に代えて、彼らは告発で応じます」という現実でした (4節)。
不思議にもそれへの対応が原文では「しかし、私自身は、祈りです」と記されます。これは、ダビデが、祈りによってすべての問題を解決しようとする姿勢を現します。
時に、自分の正当性を訴えることが、火に油を注ぐことになります。これは霊的な戦いです。サタンに操られたような人々への戦いの最高の方法こそ「祈り」なのです。それこそ最善の戦い方だというのです。
5節では「彼らは 善に代えて悪を 愛に代えて憎しみを 私に返しました」と訴えられます。あなたも人生のどこかでこのような気持ちを味わったことがあることでしょう。
そのような敵に対して、「どうか……告発する者が 彼の右に立つようにしてください」(6節) と祈られます。「告発する者」のヘブル語は「サタン」で、ゼカリヤ3章1節でも、人の罪を訴えるサタンの働きが描かれます。
つまり私たちには、不当な告発者の右に、より恐ろしい告発者が遣わされるようにと祈ることが許されているのです。
心が憎しみや恨みの気持ちでいっぱいになるときに、はるかに辛い状況に置かれた人の立場になって、この祈りを味わうなら、あなたは、自分の内側に鬱積する怒りや恨みの気持ちが、神にとって軽蔑すべき感情ではないことが分かり、安心できます。
21節からは急にトーンが変わり、主を「あなた」と呼び、主ご自身の名ヤハウェと、「私の主」という親密な呼びかけが記されます。
その上で、「私は苦しみ そして貧しく 私の心は私のうちで傷ついています」(22節) 以降のことばを、心の底から味わってみましょう。このような祈りを導いてくださる神の優しさが迫ってきます。
また28節の「彼らはのろいます。しかし、あなたは 祝福してくださいます」こそこの詩の核心であり、最高の慰めです。
29節の「私を告発する者たち」は、6節の「告発する者」の複数形で、彼らの背後にサタンがいることが示唆されます。また31節では、「主が貧しい人の右に立ち……救われる」と歌われますが、これは6節との対比で、慰めに満ちた表現です。何と、告発者たちの右にはサタンが立ち、信仰者の右には主ご自身が立ってくださるのです。
【祈り】主よ、私または私の友人が、不当な攻撃を受けて苦しむとき、この詩篇をとおして、傷ついた気持ちを訴えさせてください。
あなたが、私たちの中に鬱積された気持ちを解きほぐし、慰めと希望を与えてくださることを感謝できますように。

